『ジョバンニの島』のあらすじ【北方四島のうちの一つ、色丹島の話】
ジョバンニという名前は、宮沢賢治の銀河鉄道の夜の中に出てくる少年の名前です。
亡き母が好きだったこの本の名前にちなんで付けられたジョバンニこと純平とカンパネルラからつけられた弟・寛太が太平洋戦争後に色丹島から引き上げてくる様子を実話を元に描かれた戦争の物語です。
『ジョバンニの島』は、2014年に、日本音楽事業者協会創立50周年記念作品として、日本のみならず、アメリカなどでも上映されました。
北海道を観光しているとオホーツクの道の駅などの展示資料を読んだり、引き揚げの経験がある人から聞いていたり、島からの引き上げの話は、若干知識がありましたが、映像で見ると想像を絶するものがあります。
島からの引き揚げのことを知らない世代や子供たちが日本の歴史を理解するのに、このアニメ映画はとても良いと思います。
『ジョバンニの島』原作について
映画の前後に出版されている本があります。
原作は杉田成道で、映画の公開前に出版された集英社の本です。
映画公開前後に出された原作杉田成道と、著者五十嵐佳子の集英社みらい文庫では、本の内容に若干の違いがあるそうですが、意図するところはわかりません。
なぜ「北方領土を返せと言っているのか」を考える
北方領土問題とは?
引用元/外務省
(1)日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。
(2)しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までに全ての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。(詳しくは「北方領土問題の経緯」のページを参照下さい。)
(3)北方領土問題が存在するため、日露間では、戦後70年以上を経たにもかかわらず、いまだ平和条約が締結されていません。
戦争反対とヒステリックに連呼しても戦争はなくなりませんし、意図的に一部を切り取って歴史の全てのように語ることは真実から離れていきます。
しかし、真実を伝える人がいないと、声が大きくて騒ぎ立てる人の声だけが広まって、真実を知らない人たちが洗脳されてしまいます。現状を変える主張だと昔の話だ、自分とは関係ない話だと余計にそうなりがちです。
広島平和記念資料館や長崎原爆資料館などの展示物のように、実物の持つ表現と戦争の実体験した個人の話は、大切にしなくてはなりません。
樺太の三船殉難事件とは【島からの引き揚げる際に起こった大きな事件】
戦争が終わり、1945年8月15日。ポツダム宣言を日本が受け入れたことで、連合国は各軍へ停戦命令と武装解除を行い、アメリカもイギリスも即座に戦闘行為を停止しました。
8月8日に対日宣戦布告したソ連は、満州、朝鮮、樺太に侵攻していました。
8月20日、樺太では、ソ連が攻めてきていることから、日本国民の女子供年寄りを優先的に3船に分乗させ大泊港から本土に帰還させようとしていました。
1500人を乗せた小笠原丸は一旦稚内に寄港し、危険があるから下船するよう勧めがあったものの、全員が列車に乗れないなどの混雑を考え、700名ほどを乗せ小樽に向かうことになりました。
その途中、8月22日午前4時20分頃、増毛沖でソ連潜水艦L-12の雷撃により沈没されられました。638名死亡生存者61名。
3400人を乗せた第二号新興丸は8月20日午前5時13分ごろ、留萌沖でL−19からの魚雷と浮上してきた潜水艦の銃撃で、やむなく応戦し最寄りの留萌港に入港しました。400名近くが犠牲となったそうです。
泰東丸は8月22日午前9時52分留萌起きでL−19の砲撃を受け白旗を上げるも砲撃を続行され、やむおえず応戦したが沈没しました。780命中667名が死亡。
船から投げ出された人を救うために、地元の漁師は、自ら危険があるにもかかわらず、船を出して投げ出された人を助けたり、遺体を回収したりしたそうです。
再三にわたり当時の厚生省が海上自衛隊に依頼をして捜索を行いましたが成果はなく、その後も沈没船の調査は度々行われたが成果がないとして調査が打ち切られました。
2007年樺太新聞の取材でサハリン州公文書館から公開した資料によると、ソ連は樺太に続き、北海道北部を占領するための狙撃部隊2個師団による留萌への上陸作戦計画を立てていたそうです。
それに気がついたアメリカは、8月18日にアメリカのトールマン大統領がスターリンに北海道占領を認めない旨の書簡を送って断念したものと思われます。
衆議院のホームページの平成30年3月29日提出の質問第186号『平成北海道「留萌沖三船殉難事件」に関する質問主意書』を読むと、国際不明とされていた潜水艦はソ連太平洋艦隊の潜水艦であることが1992年拓殖大学の秦郁彦教授の調査で、ソ連国防省戦史研究所からの回答で確認したと書かれています。
しかし、外交上、相手国との信頼関係を損なうおそれがあることから、外交上のやりとりは明らかに出来ないことと、私人の独自調査なので政府としての見解を述べることは差し控えたいと、質問第186号『平成北海道「留萌沖三船殉難事件」に関する質問主意書』の回答がされてあります。
この「留萌沖三船殉難事件」生存した人々の声などがまとめられた本があります。
まとめージョバンニの島を見て、北方領土や三船殉難事件を学ぶ
『ジョバンニの島』の本かアニメを見て、北方領土に思いを馳せたり、三船殉難事件を知っておくことは、未来の日本のためにも、必要なことだと思えてなりません。
あなたは、どう考えますか?