舌が痛む時は大きな病院紹介してもらって!【白板症→手術決断→舌がん判明し入院中の気持ち】

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手術を決めた時【白板症→手術決断→舌がん判明し入院中の気持ち】

いつもと明らかに違うので、癌だろうと予測していた

白板症からがんになりやすいと歯医者さんに言われて、経過観察として事前に通っていたこともあり、常に気にしていたことで想定内であったことで慌てずに済みました。

細胞を取って調べないとはっきり言えないとのことでしたが、自分ではがんだろうと思ってました。

なるべく自分がショックを受けないよう回避できたように思います。
落ち込みがなかったわけではありませんが、自分を励ます余裕はありました。

早期に発見してステージは低くても、どのくらい悪質な広がり方をするかの「がんの悪質度」は取ってみなければわかりません。のんびりしているよりさっさと取れるうちに取ってしまいたいと早めに手術を決断しました。

もしも、がんでなかったら、薄く表面の白板症の部分を取るだけですみます。

とにかく、取って調べなければ話にならんと思ったので、余計なことを考えるのは一切やめました。

取って調べるとやはりがんでした。
どちらにしても手術は決めていましたから、治療には既に入っていると思って自分を安心させるように考えていました。

抗がん剤の種類など、使えない薬もあるので、もう少し大きな大学病院へセカンドオピニオンとして診断を受けるかと主治医に聞かれましたが、また初めから検査をすると数ヶ月かかり、コロナ禍で手術室の待ちもあって、すぐに手術できるわけではないので、その間全身に広がる方が怖いので、がんの種類がわかって、他の薬を使いたくなってからでも大きな病院への紹介はしてもらえることを確認してから、手術することを決めました。

歯医者さんから紹介されたその病院は、大学病院並みに手術数も多く、信頼できる先生であったことも決め手です。

舌を切ることを、「ちょっとだから、数ヶ月だけの我慢だ」と甘く考えていたこともあります。

実際は、魚に混ざった骨を舌で探ってわかるようになって焼き魚を食べるのが怖くなくなるまでに、一年かかると思っていませんでした。

手術室は半年くらい待たなくてはなりませんでした。
幸い、キャンセルが出たときにすぐに主治医が確保してくれて、翌月に手術することができ、痛みが急に増して心配していたのでありがたかったです。

リンパに転移しておらす、初期の段階だったことは幸いでした。

振り返ってみると、不安になることはしかたないからそのままの気持ちは受け止めて、それ以上起きてもいない不安を増長させる検索をするのはやめようと決めた自分を褒めたいと思います。

ストレスで胃腸にくるタイプなので、これ以上悪いところを増やしたくないと脳が必死にマイナスの情報を拒否していただけかもしれません。

白板症に気がつく歯医者に通っていたこと、大きな病院で検査を受けていたこと、早期だったこと、それほど悪質のがんではなかったこと、運が良かったと思ってます。

原因はおそらくインプラント。口が小さくて舌の大きさは普通で、インプラントが舌に触ってストレスを感じるようになったのかも。とんがって痛いからと何回か削ってもらいました。

ですがインプラントを入れてからずっと痛かったわけでも、気になったわけでもないのです。10年くらいはなんでもなかった。

年齢が高くなって、歯茎とインプラントの感じが変わってしまったのか、加齢によるって、今までなんでもなかったものがストレスになっているのかはわかりません。

白板症の人は、注意深くして痛いとこや、コリコリするところが白板症じゃない箇所のところでもすぐに病院へ行くことを伝えたい

私は、白板症のところは、痛みもなければしこりもありませんでした。

白板症は奥歯の近いところにありましたが、それよりももっと前の方が少し痛かったのです。

痛いという話はしましたが、しこりもなかったですし、白くもなかったですし、見た目は全くなんともなかったのです。なんでもないようだと医師にも言われていました。

今考えると、肉眼ではわからなくても、舌は敏感なので、何かが起こっていたのでしょう。

がんは、白板症のところではなく、このちょっとヒリヒリ痛む箇所にできたのです。

数ヶ月後、そこに小さな口内炎みたいなのができて、薬を塗って2週間しても治らないし、ビタミンBを飲んでも治らない、日に日に大きくなっている気がするし痛みも増してきたので、慌てて病院に行きました。

そこでも見た目はただの口内炎なので、病院で薬をもらって塗って2週間経過をみました。

自分で同じような薬を塗っておかしいから来たと話しても手順を踏まないとダメでした。

2週間して、確かに改善が見られないとわかってから次の段階に進みました。

主治医は今後の治療計画を全て決めていて、手順よく無駄なく説明してもらえたので、その日のうちに手術と決めて、手術日も決め、手術室の予約をしてもらいました。半年先まで待たなくてはなりませんでした。

手術の近くなってからでないと細胞検査は行えません。
刺激を与えるとガン細胞が急激に大きくなることがあるようなのです。
この待っている時間が嫌でした。

手術日が決まり、細胞検査で細胞を取ったとたん、中にあった細胞が外に出てきた感じで明らかに大きくなり痛みがさらに増しました。

あまり良い性質の癌ではないのではと、悲観的になりそうでしたが、すでに治療の途中だから焦って良いことはないと自分に言い聞かせて、余計なこと考えないようにしました。

がんとわかってすぐにやったこと(何かしなくてはいられなかった)

遺書を書いた(残された家族が困らないようにというより、自分が落ち着くためにやった感じ)

銀行口座

証券会社

郵便受けの開け方

ゴミの日

ゴミ袋の場所

冷凍庫をいっぱいにした(あんまり必要なかったかも)

ビールやいつも飲むコーヒー(無糖)を箱買いした

部屋の掃除をした

『もしも、がんと言われたら』

がんは昔と違って、治るもんだとまず思って落ち着こうとした

気持ちは大事だと感じました。

悲観的に気持ちにすぐなりそうだったので、治ると思ってそのための方法を考えました。
特に、自分のがんが進行したらどうなるかについてネット検索しませんでした。

ネットで調べたのは、入院しても筋力を落とさない方法でした。

全ての治療が終わって退院した後に、自分の手術を同じ感じの人がいるかネットで検索しましたが、舌の切除とそのあとの苦労は、個人差が大きく、似た人はいませんでした。

今考えると、取りたい栄養を考えて自分なりの流動食の改善を考えれば良かったです。

栄養指導は、エネルギー補給のためにタンパク質と糖質をとにかく摂ることと言われましたが、糖質をあまり摂っていない食生活だったので、糖質過多の食事に代わって、体調も体質も体型も大きく崩れました。

運動について

ベットでのストレッチと腹筋、スクワット、ラジオ体操を行いましたが、足りなかったです。

気を紛らわせるために、ベッドでブログを書いている時間が長すぎました。

もう少し、病院内をうろうろと歩き回ればよかったです。
圧倒的に歩く時間が少なすぎ、足の筋肉と体力、持久力を失いました。

筋力がなくなって脂肪が増えると、体が冷えて、寒くてたまらなくなり、甘いものを食べて布団にくるまって睡眠をとってばかりの生活になりました。

回復のために、体を温めるためサウナに定期的に通い、低酸素室で短時間の負荷の弱い運動から少しずつ運動の負荷を増やしていきました。リンパの流れや整体など、プロの力もずいぶん借りました。

体力がないと、体幹の筋肉がつかえなくて、姿勢もわるくなり、内臓も飛び出してきて、お腹が中年のおじさんのようになりました。一気に10歳異常老けた感じで、このまま老人になってしまうのかとそちらの方がショックでした。

筋トレや運動は、体力のない状態で無理をしてはいけません。
私は、無理をして虚血性腸炎になり、救急車で運ばれてまた入院する羽目になりました。

負荷は少しずつ、体力と筋力は、かつての自分ではなくて、今の自分に合ったものでなくてはならなことと、体力は失ったのだとようやく認めることができました。

今も体力や筋力は、完全復活とまではいっていないので、もう少し頑張ります。

焦って良いことは一つもありません。

個人の闘病記を読む前に、がん情報サービスを読む。

落ち着いてから、病院内を散歩していて見つけた『もしも、がんと言われたら』の冊子を読みました。

正しい情報を得ることはとても大事です。

不安になっていると、何かしら売りつける人が寄ってきます。

まずは主治医の話をちゃんと聞きましょう。
医学の進歩で最新の治療法とか、主治医は違う病院の治療法でも知っていれば教えてくれます。

放射線をがん細胞だけに当てることはできないか、がん細胞に有効な抗がん剤はあるのか。

自分の基礎体力を落とさないようにする方法はどんなことか。

気力、筋力、栄養、蓄えておけるものは蓄えて、戦う準備はしておく。
そのためには、元気に明るく過ごすようにする。

ノウハウだけでなく、自分だけが病気になったわけではないと気付かせてくれました。

国立がん研究センター がん情報サ...

必要な情報を集める

正確な情報を得る

情報探しは、まず「がん情報サービス」からが良いと思います。

国立がん研究センターがん対策情報センターでは、がんに関する「信頼できる、わかりやすい、役に立つ」情報を作成しています。

“がん”と診断されて間もない患者用の「患者必携 がんになったら手にとるガイド」があります。

部位ごとの説明の冊子が印刷できますが、舌がんにかんして役に立つことはあまりありませんでした。

患者さんの 手記
まずは「がん情報サービス」から今はインターネットをはじめとし、がんについての情報はあふれています。でも、個人の限られた体験に基づくものや、悪い情報も多いように感じました。その中から「信頼できる」情報を見分けるのは素人の私には正直判断がつきませんでした。その意味から、情報探しのはじめの一歩には、「がん情報サービ ス」とがん対策情報センター発行の冊子を活用されることをお勧めします。
私自身 、手術 、抗がん剤治療を経験しましたが、正しい情報を得ることで、納得して治療に取り組めた気がします。


https://ganjoho.jp/public/qa_links/brochure/pdf/206.pdf

自分にとって必要な情報とはなにか

今までの生活と大きく変化してしまうことのギャップを埋める情報は調べる必要があったと思います。

私は、冷静に正しく情報を判別したのではなく、すべての情報から逃げて、ブログを書いていただけなので、入院中や退院後の運動方法や栄養のことについて、もう少し調べておけばよかったと後悔しています。

ここがもう少しできていれば、回復の時間や体調を崩すことはなかったのではないかと思っています。

出される食事で飲込みが無理で栄養の半分以上を食べることができなくて、飢餓的な変な痩せ方をして、リバウンドで太った体を戻すのに苦労しました。

売店もあったので、飲み込める牛乳やヨーグルトを買うとか、ビタミン剤を摂るとか、病院食だけではなく、もっと方法があったように思います。

余計な情報集めて悲観的になるのもダメですが、食事が取れないことをたかが数週間だからと無視するのも良くないことでした。

ネット上にあるたまたま見つけた情報はほんのひと握りの情報だということを知って、大きく情報をつかみ、適切な行動を取れるために、正しい情報を選ぶことが必要になるが、希望的な良い情報を探しているので、どうしても信じたい情報に流される傾向があったように思う。頭は冷静にしておかなくてはならない。

入院中はこんなものを食べていました。
『病気入院中の病院の流動食の献立【舌がんで舌部分切除手術後〜退院までの食事】』の記事です。

次の機会はない方がありがたいのですが、流動食しか食べられない時のためのメニューはもう一度考えようと思っています。

入院病棟にはいろんながん患者がいるから気をつける

入院中は、抗がん剤治療をおこなう長期間入院患者さんたちもいます。
顔見知りのようで、気晴らしに集まっておしゃべりをしていたりします。

私は、話すと術後傷口を塞いでいるシールが剥がれて出血する恐れがあるし治りが悪くなると言われていたので、話ができませんでした。

知らない人と話をすることがどちらかというと苦手で、いつも静かな環境で生活をしているせいか一人の方が落ち着くので、ストレスに感じないようカーテンをしてイヤホンや耳栓をしてブログを書いて過ごしていました。

人気者の方と同室になって、看護師さんやリハビリの人がひっきりなしにやってきてずっと話していて、知らなくても良い人の情報が耳に入るのは嫌でした。噂話だけで悪口ではないのですが、自分がいないところでは、こんなふうに言われているのかと思ってしまって、少々ストレスでした。

普段、静かな環境で過ごしている人は、人が多いとうるさく感じるかもしれません。
イヤフォンと耳栓を持参することをおすすめします。

私のように、一日中黙って無音の中の方がリラックスするする人ばかりではありません。
話をして気晴らしやリラックスする人もいます。
双方、好きなように過ごせるよう、自分のちょっとした工夫が必要と思います。

同じがん患者なのだから、悩みを話した方がスッキリして良いと何回も言われた時には困りました。

私は、リンパへの転移がしやすい舌癌ですが、幸いにもリンパへの転移がなく、その後は、2年以内の再発、肺がんのリスクなどに備えての経過観察のみです。

話しかけられないようカーテンを閉めていましたが、がんになって落ち込んでいると励ましてくれようとして何度も話しかけてくれたのだと思いますが、何度も傷を良好に治すために話ができないだけだとの説明を信じてもらえないのか忘れるのか…

話をするのが苦手ということもありましたが、抗がん剤が必要のない早期のがんだったので、薬の種類とか何クール目とかの話には入れませんし、なんだか早期の小さながんで切ったらおしまいなのに、悩んだり落ち込んだりする言葉を聞かせるのも悪い気がして引け目を感じて話に加わりたくありませんでした。

噂話をする看護師さんいることをしってから、看護師さんにも心配事を尋ねられましたが、何も言いたくありませんでした。看護師さんには、強いんですねって言われましたけど、そういうのとは少し違うのです。

それでも、先生たちや看護師さんやの明るい笑顔と声には、毎日励まされました。

コロナで大変な時期でしたのに、医療関係者は、本当に天使です。

感謝しています。ありがとうございました。

まとめー白板症からがんとわかってから入院中までの気持ち【白板症からの舌がん】

「今必要なことはなにか。
それを見極めて、必要なことだけを調べて実践する。余計なストレスはためない。」

単純で簡単なことのようですが、できませんでしたし、次が来てもできない気がします。

やはり、動揺しますし、落ち込みます。
その時の自分の気持ちを否定せず、そのまま受け入れて、もがくしかないのかなぁ。

身近で、舌がんになっている人がいて、その人は1年半で再発をして再手術をして現在も健在です。
再発はあるものだと考え、真面目に病院に通って、自分でも気にしていきたいと思います。

一年たった今。
サウナや運動でやっと少し元の状態に戻りつつあります。

トイレの鏡に映った老いた自分の顔と歩く姿に愕然として、おばあちゃんになってしまったと思った時には泣きそうになりましたが、元気になって筋トレして、腹筋が復活すればお腹は引っ込みますし、丸まった背中も真っ直ぐに保つことができるようになりますし、運動能力も戻ってきます。

焦らずゆっくりと、でも、日々の生活の中のできることはできるうちに無理しない程度にチャレンジしたいと思います。

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