本「心の傷をいやすということ / 安 克昌」を読んで

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「心の傷をいやすということ / 安 克昌」の内容について

この本は、阪神淡路大震災の際に、神戸の精神科医である医師の心のケアに奮闘した1年間の記録です。

被災している人が被災者を助け支えている。

この阪神淡路大震災で頑丈そうな建物や高速道路の崩壊をみて、自分にも起こり得る話なんだと恐怖を感じたはじめての出来事だったように思います。

なにかしたいけど、何もできない。災害の報道を見て、無力感を感じました。

市民のボランティアがいることをはじめて知ったのもの、この時でした。

この本は、心のケアなので看護師や他県の医師など、ケアするのは医療関係者です。
通院している患者だけでなく、災害によってこころが疲弊していく様や仮設住宅で疲れてい様子が垣間見て心が痛みます。

被災の度合いによる後ろめたさ、マイノリティの排除、マスコミの思惑とシナリオ、忘れ去られていく回復していない街や人の心が置き去りになっていく様子。

今も、傷つき頑張っている人が日本全国あちこちにいることを思い知らされる思いで読みました。

「心の傷をいやすということ / 安 克昌」を読んで考えたこと

災害について

ある地域の災害ボランティアのつながりのある友人に頼まれて、ボランティアに食事を振る舞うボランティアに行ったことがあります。

個人のボランティアの人は、基本、寝るとことも食事も身の回り全てのことは自己完結できるようにして行っています。経済的なこともあり食べている食事はカップラーメンやパン、お湯で温めるご飯に瓶詰めの常温できるようなおかずでシンプルです。それで、床下の泥のかきだしなどの重労働を行っています。

疲れが見えてきたそんなボランティア達に、ちょっと変わったものを食べさせたいとボランティア仲間へ数百キロ往復してランチの差し入れをするのでした。

食事の提供が終わって、現場で働いているボランティアの人が「見てから帰ってほしい」と連れて行ってくれて、黙った見せてくれたのがもっとも災害の大きかった場所です。TV報道やネットニュースの写真でみた光景が広がっています。

崩れて全壊した家、家は崩れていないけれど下の土地の半分が川に持って行かれて傾いている家、普通に生活している様子の遊んでいる子供。目の前の数百メートルの中に全部ありました。

なんともいえない感情が込み上げてきました。

災害に遭遇していない者は何があったか本当のところはわからないでしょう。

同じ災害に遭っても、その被害の差によって恐怖の体験は違うでしょう。

命が失われたとしたらどれほど傷ついているのか想像できません。

被害が少なかったから良かったと言ってはいけないんだろうことが容易に想像できる光景でした。

どういう言葉を選択していいのか、災害時にはわかりません。

この本を読んで、その時の光景が蘇ってきました。

心の傷について

傷つくということの問題に大きいも小さいもありません。

私の被害は少ないからと我慢に我慢を重ねて、自死に向かっていく人がいたようです。

子供も、経済的なことや住むところにやっきになっている親にほっとかれても我慢をして、傷を深くしてしまっていたようです。

想像ではなく、実際にこんな時期にこんなことが起こったという記録のこの本は、その後の心のケアをする上で参考になったのだろうと思いました。

心のケアは、時間差で、必要になる人や悩みが変化するのですね。

傷ついている理由がなんであれ、死にたいと自死に向かわないようにケアをするのは大変なことだと思います。

自分にできること

「がんばれと言わない」と良く聞きます。十分頑張っていて、それ以上頑張れないくらい頑張っているのだからと。

だまって寄り添うのが良いんだろうなと、本を読んで思いました。

震災直後は、他県ナンバーの車を見るだけで、忘れられていないと元気が出たと、精神科のお医者さんでも言っていました。

偉そうにアドバイスするでもなく、何かを解決しようとしようとせず、ただ、そばにいて話を聞いてあげたら良いんだと今は思っています。

オリンピックで見たスピードスケートの髙木美帆選手が行った光景ですね。
身近な家族だと、そばに寄って行って、だまって横に座ることが最大の寄り添う方だと思います。

他人や、遠く離れた被災地には何ができるでしょうか。

その産地のものを通販で取り寄せて購入したり、落ち着いたら、旅行に行ったりするくらいしかできません。

忘れていないよって、どうやったら伝わるのでしょうかね。

災害時に思ったこと

災害時に、何を考えていたのか思い出してみました。

テレビの前で呆然としていただけでした。

災害の直後は、なんだったのか理解不能なので、何が起こったのかの報道は危険回避のためにも、災害の大きさを報道することは必要だと思います。

その後は必要な給水所や食べ物の配給場所など、生きるための情報がうもれないようにしてほしいと思っていました。

自分がブラックアウトのときに、どこで水がもらえるか全くわかりませんでした。
一軒家は水道が使えましたが、電気がないと水が供給できないマンションに住民には水が必要でしたが、近くのスーパーやコンビニではあっという間に売り切れでしたから。

水や食べ物が得られる生きるための情報を調べてきて報道してほしいです。水や食料に困らないずっとテレビを見ていられる人だけを大切にしているのなら、テレビから必要な情報は得られないですね。

連日連夜、被害の大きさを民放で競ったり、かわいそうな物語を作ったり、政治への不平不満をいわせようとしたりする行為は、被災者や被災していない視聴者の心まで壊しかねません。災害の大きさや死者数など、危険の注意喚起でないことはみたい人が見られるデータ放送のどこかにあれば十分です。

災害時は民放テレビは全く見ません。

まとめー「心の傷をいやすということ / 安 克昌」を読んで

この本を読んで一番感じたことは、「人は、孤独になると心が不安定になる」ということです。

日常、身近な人が孤独を感じないように生かしたいと思ったのは次の3つのことです。

  • 黙っていても役に立たなくてもそばにいる
  • そばにいるよってことは表現しないと伝わらない
  • 余生なアドバイスや解説方法は語らない

大切な人に寄り添うって、大事なのですね。

それが、理解できた本でした。

学ばせていただき、ありがとうございました。

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