【チャンミーグワー/今野敏】のあらすじ
空手をやっていてもいなくても、読むと空手の稽古に精進して、鉄人になったような気分になれる今野敏さんの武道小説の一つ。少林流・少林寺流が生まれるもとになっている喜屋武朝徳の話。
明治3年生まれ、チャンミーグワーと呼ばれた喜屋武朝徳は同じ年生まれの本部朝基の仲の良い親戚同士です。王に使えている侍の家系の彼らは、国王を守るために手(ティー)の稽古は欠かせません。はじめは嫌々だった手が自らの工夫と情熱を持って修行することで上達することを知り、迷ったり失敗したりしながら、空手と共に成長していく様が描かれています。
1879年明治12年に沖縄県が設置された。「王政一新慶賀」使節団だった父親は沖縄の裏切り者として琉球独立運動の側の頑固党から裏切り者と言われ、有禄士族であったため無禄となった士族から妬まれ、尚泰と共に東京へついて行った父親に呼ばれて東京に住んだ朝徳は沖縄を未開地だと差別されました。
1894年日清戦争、1941年から1945年までの太平洋戦争と激動の時代を過ごした朝徳の人生は、空手の激動の時代でもあります。
1945年(昭和20年)収容所で亡くなるまで空手の修行に生涯をかけた喜屋武朝徳の人生なぞることで、沖縄の歴史、琉球空手の歴史の一部が理解できます。
特に王に仕える首里手の空手の修行の仕方、空手の歴史の中で有名な空手家の人柄やマンツーマンでの修行の方法、今の集団の体育的な空手の成り立ちなど興味深いです。
空手を武道として捉えて、先人の教えを次世代に伝えている者たちは、少なくとも自分の行っている空手の歴史を聞いていることと思いますが、他の流派とも近い存在であったことや交流があったことなど沖縄の歴史とともに理解を深められる本だと思います。
空手をやっていなくても、修行していく様は、他の武道のみならず、沖縄踊り、能や日本舞踊、茶道や花道など、道がつくような日本文化に取り組んでいる人には身近に感じるのではないでしょうか。
また、日本文化の一つである空手の成り立ちを沖縄の歴史に沿って理解していることは、日本を外国に説明するときにも役に立知ます。
どんな空手であっても、元を辿れば、必ず沖縄の空手、琉球空手につながっています。師を敬い日々稽古を繰り返し、自分の体だけではない心もコントロールしていく武道としての空手や精神に日本を感じているようです。
今野敏氏の武道の達人シリーズはそのようなことを感じられます。知っている沖縄空手家すべてを資料に基づいて書いて欲しいと個人的に願っています。
空手に興味が出た人へ、内閣府の「沖縄空手の紹介」【チャンミーグワー/今野敏】
空手の紹介
内閣府の沖縄政策の中に沖縄空手の紹介がされています。
「チンクチをかける」「ガマクを入れる」「ムチミを使う」基本動作であり極意となっているこの沖縄空手の独特な言い回しは、説明しきれないし、しようとすると陳腐になるので、このままの言葉を理解したものだけが沖縄空手を理解することができ、体現できるものだけが沖縄空手を使えるのだと思っています。
「空手に先手なし」「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」沖縄空手の先人の言葉は平和の武としての精神が表されています。
礼によって始まり礼によって終わる。守礼の心を学ぶことも大切です。
分類は、首里手(シュイディー)系、那覇(ナーファディー)手系、泊手(トゥマイディー)系、上地流
空手が手(ティー)と呼ばれていた頃は那覇、泊、首里など地域によって空手の特徴が違うことは理解していたようですが、特に区別はしていなかったようです。
内閣府の沖縄空手の流派の紹介では、この4つに大別して紹介されています。
首里手(シュイディー)系
佐久川廣賀から松村宗棍へと受け継がれ、宗棍から糸洲安恒、安里安恒、多和田真睦、喜屋武朝徳へ継承され、喜屋武長徳系から、少林流・少林寺流が派生しました。小林流の知花朝信、松濤館流の船越(富名腰)義珍、屋部憲通、花城長茂、徳田安文、城間真繁などに受け継がれました
那覇(ナーファディー)手系
東恩納寛量から剛柔流開祖宮城長順へ、別系統で仲井間家に代々伝承された劉衛流があります。
泊手(トゥマイディー)系
宇久嘉隆と照屋規箴が元祖と言われ、嘉隆と規箴から親泊興寛、山田義恵、松茂良興作などに受け継がれ、長嶺将真を開祖とする松林流が派生し、また、少林流系に多大な影響を与えた喜屋武朝徳も泊手を継承しています。
上地流
開祖は上地完文。1909(明治42)年に、13年の福州での修業及び指導者として活躍したのち帰国。1926(大正15)年から和歌山での指導を皮切りに、多くの門弟を育成。「サンチン」を主とした厳しい鍛錬法で知られています。
出典元:沖縄空手古武道事典(柏書房)
流派ができてきたのは近年の話
1924年昭和4年に剛柔流が名乗ったのが今の流派のはじめです。
全日本空手道連盟の加入している四大空手の他の流派をみてみると、糸東流は昭和9年に名乗り昭和14年大日本武徳会に登録、松濤館は昭和14年に豊島区に開いた道場の名前に由来する、和道流の発生は昭和9年とされています。
今野敏氏は、他にも「義珍の拳」や「武士猿」などの空手家や「惣角流浪」や「山嵐」などの武道家の本も書いています。
難しい資料や旧漢字を読まなくても武道のわかりにくい歴史を物語にして、わかりやすく説明してくれています。
たまに空手は、流派ができてダメになったという人がいます。宗家の体格や筋力、他の武道経験によって異なる点もありますし、伝えられて先人の教えを次世代につなげて行けばいいだけで、比べる必要もけなす必要もありません。何を持ってダメだと言っているのかわかりません。
競技となると、形は同じでないと優劣をつけるのは難しすぎます。自分の理論にあった体の動きをマスターするための稽古である受け継がれた形以外に覚える必要性は武道としてはありませんし、比べること自体が違うのかもしれません。
競ったり、勝つことをメインにするのであれば、外国のチームのように日々の稽古ではなく、勝つためのトレーニングや上位選手の分析や技の封じかたに重点をおいた練習が必要となり、稽古とは呼べなくなりますね。
競技KARATEと武道としての空手は別物として考えなくてはならないのではないかと個人的に思っています。東京の後のパリのオリンピックで空手が競技として残らなかったことを考えると、競技と武道との分離がうまくできなかったことにあるような気がします。
何も足さないで何も引かないで、次の世代に正しく伝えられることだけをしていきたいと気持ちを引き締まるためにこの本は定期的に読んでいます。
まとめ 改めて、沖縄空手、琉球空手での型ナイファンチの重要性を理解した【チャンミーグワー/今野敏】
一つの型を何年もかけてできるまで習う沖縄の空手(首里手)で、ナイファンチは重要です。
型には寸止めもルールもないのです。だから、実戦で使うための技は、応用を考えながら、型で練習するのです。
地味なナイファンチの重要性を理解するのに、頭で考えたい人(大人になってから空手を始めた人など)には、この本をまず読んでもらうことは有効だと思います。
空手は、年齢、性別問わず、自分の体と心に向き合う、左右対象の動きをする健康的な武道です。小説を読んで空手をやってみたいと言う人が増えて、稽古をして自分の能力や体力の可能性に目覚めて、争わないために空手をすると言う意味が理解できる人が増えることを望んでいます。